学校という箱はもういらないんじゃないか?

  • 2019年11月8日
  • 2020年7月26日
  • 雑記

 

2025年には団塊世代が75歳以上の高齢化社会になると言われています。

 

そして、それに反比例するかのように年々新生児は減り続け、それに伴い学校なども廃校になったり合併したりしていますね。

 

私は母校にそこまでの思い入れはありませんが、やっぱり廃校とかになったら悲しく感じると思います。

 

そんな中ふと思ったのが、学校という箱はもういらないんじゃないかと言うことです。

 

 

 

 

学校がいらないと思った理由

 

 

才能をつぶしてしまう?

 

5教科というものがありますよね。「国語」、「数学」、「理科」、「社会」、「英語」。
これってすべて学ぶ必要が本当にあるのでしょうか。

 

私は国語、社会、理科が好きで、得意でした。逆に数学、英語は本当に苦手。
学校というものは何か一つ突出していればいいというわけではなく、すべての教科で高い点数を取ることが美とされます。

 

言い訳かもしれませんが、私は数学と英語が苦手であったが故に嫌いな教科を勉強することを与儀なくされました。
その結果、勉強というもの自体が嫌いになってしまったのです。本を読むのはもともと好きだったので、国語だけは好きでしたが。

 

しかも私が知る限り、この5教科を必要としている職業は「小学校の先生」くらいです。
それ以外の職業は、何かしらの教科を組み合わせて特化しているというイメージです。

 

すべての教科をまんべんなく学ばなければならない学校というものは、生徒の才能をつぶしてしまう可能性もあるのではないのでしょうか?

 

集団生活って本当に必要?

 

日本には「空気を読む」という文化がありますね。
誰々がやっているから、自分もやる、だとか、授業中にわからない部分があっても授業進行を遮らないために質問しないだったりとかです。

 

今となっては死語かもしれませんが、私が学生のときは「KY(空気・読めない)」と叩かれることもありました。

空気なんて読まなくていいよ!

 

「後はみんなは勉強しているんだから、あなたも勉強しろ」とかですかね。

もともと思っていたのですが、学校で習ったことって社会に出てからほとんど必要ないんですよね。
苦労した微分・積分とかだって計算の仕方は覚えていないし、将来の職業によってはまったく使いません。

 

特に今のご時世は、サラリーマンになるだけが稼ぐ手段ではありません。
インフルエンサー(有名どころだと、Youtuberやインスタグラマー、ブロガー)といった生き方もあります。
そういったもので稼ぐ場合に重要なのは”個性”です。

 

集団生活は重要な”個性”を潰すことでなりたつため、しなくていいと思います。

 

 

 

つきまとう「いじめ」という問題

 

なくなりませんよね「いじめ」。

「いじめ」を苦にして、自殺したというニュースを見るたびに悲しくなります。
未来ある子供達の命が失われてしまうこと、例えその子供の親ではなくとも悲しい気持ちになるものです。

 

また、子供は隠すことはうまいので、学校側がどれだけ尽力しても「いじめ」の撲滅は難しいと思います。

 

それではなぜ「いじめ」が生まれてしまうのか。

私は「多様な生徒を狭い教室という空間に押し込めている」からだと思っています。

 

人間は自分と違う存在を受け入れがたいものです。
特に子供時代は顕著だと思います。
大人になるにしたがって、そういったことを受け入れられるようになるのだと思います。

 

そんないろいろな子供達を、お世辞にも広いとは言えない”教室”という空間に押し込める。
そして、約1年は同じクラスで過ごす。
少しでも気に入らないことがあれば、排除するために「いじめ」が始まります。

 

更に、学校にはヒエラルキーが存在します。

目立つ派手なグループを頂点に中間層のグループがあり、最下層に地味なグループがあります。
どんなにキレイごとを並べても確実に存在します。

 

「いじめ」というのは、目立つ派手なグループが最下層のグループの人間を攻撃します。
目立つ派手なグループに逆らえる人はいない上、教室という狭い空間です。逃げ場がなくなります。

 

 

 

 

教師ってめっちゃ大変ですよね

 

私が学生のころは好きな先生、嫌いな先生としか考えていませんでしたが、
大人になって社会に出て、教師って職業は意味わからんくらい大変な職業だなとわかるようになりました。

 

・日中は子供たちの面倒を見て
・テスト問題を作り、採点して
・部活動の顧問になれば、土日も大会や練習試合で潰れ
・PTAなどの対応をして
・修学旅行などのイベントを実行する

 

普通に考えて業務量が多すぎます。
私の知り合いの教師は、確実に残業時間が発生しているにも関わらず残業代も支払われていないそうです。

ほとんどの教師がそうなのかな・・・

 

ここで言いたいのは教師という職業が不要である。
という話ではなく、学校という箱を失くしたら教師の負担も減るんじゃないの?ということです。

 

 

学校という箱をなくしたら

 

インターネットの普及により、ネット上で授業を受けられるような時代がきてもおかしくないですよね。
テレビ電話などの技術も出てきて、必ずしも通学する必要はないと思います。
出席を取りたいのであれば、出席管理システムみたいなものを作れば解決ですし。

 

テストなどは不正を防ぐために学校等で受けさせたほうがいいかもしれませんが、それ以外は自宅で勉強するでいいと思うんですよね。

テストの返却も採点して、スキャナとかで生徒毎に個別に送ればいいと思いますし。

 

テスト返却のときに、みんなの前で「次は頑張ろうな」とか言われたくないですし。

 

学校という箱がなくなれば、教師にとっても少しは楽になると思うんですがね。

 

学校がなくなったときに問題になること

 

道徳感を養うことが大変かもしれません。
人は人と接して、やってはいけないことを学んでいきます。
そういったものを養える場としての学校がなくなるので、道徳感をいかに養うかが課題であると思います。

人は痛みによって学習しますよね。

 

また、子供が学校に行ったからゆっくりできる。といった親御さんも大変かもしれません。

 

友達ができないなどもあるかと思いますが、果たしてどれだけの人が学校の友達と付き合い続けているのでしょうか。

大人になって世界が広がり、住む場所も変わったときに、学校でできた友達と付き合い続けるのか。

 

私は学生時代の友人達との交流はほとんど途絶えています。
たまに気になったりはしますが、連絡は取りません。

それで悲しいとか寂しいとか思ったこともありません。

 

 

 

まとめ

 

子供の頃は学校に通うことが「当たり前」でしたが、
大人になった今、学校というものを限りなく無駄なモノに感じてきています。

 

誰でも教育が受けられるという恵まれた国ではありますが、
これからの時代、教育の形が変化してもいいのではないかと思っています。

 

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以上。ありがとうございました!