「勉強」と「学び」凄く似ている言葉ですが、本質という意味ではまったく違うということをご存知でしょうか?
最近、この2つの意味がまったく違うものと知ったので、ご紹介させてください。
「勉強」と「学び」の違い
「勉強」と「学び」どちらも似たような言葉ですよね。
しかし、本質的にはまったくの別物だったりします。
それぞれの言葉の意味は以下です。
学び・・・能動的。自分から目的やゴールを決める。
子供の頃、親に「勉強しなさい!」と言われたことがある人は多いと思います。でも逆に「学びなさい!」とはほとんど言われていないですよね。
そういった部分がこの2つの決定的な違いで、勉強は自分以外の誰かから強制されてやるもの。学びは自主的にやるものといった違いがあるんですね。
受動的な「勉強」
勉強というものは自分以外の誰かから目的を与えられてするものです。
学校の勉強然り、受験然り、資格勉強然り。
こういったものはテストやるから勉強してきてね、だったり、何点以上取れれば合格ですよ、のように自分以外の誰かがゴールを設定しているんですよね。
そして、勉強しなさいと誰かからやることを強制されることがほとんどです。
ただし、勉強を続けているうちにその教科とか科目にハマって、テスト範囲の外まで勉強しだしたら、それはもはや勉強ではなく学びと言っても過言ではありません。
能動的な「学び」
人から目的を決められてやる勉強とは反対に、学びは自分で目的を決めてやるものです。人から強制されることはありません。人から強制されるのであればそれは勉強です。
自分自身で目的やゴールを決めてやるものですから、勉強よりも動機がしっかりとしています。
学びというのは「教養」や「幅広い知識」を身につけることと言ってもいいでしょう。
イメージとしては「勉強」というものを越えた先にあるものです。
この世界の知識というものには4種類あります。
・知っておいたほうがいい知識
・知らなくてもいい知識
・知らないほうがいい知識
学びというのは特に「知っておいたほうがいい知識」、「知らなくてもいい知識」を学んでいくものだと思います。どちらも生きていく上でそこまで必要ではなくとも、知っていることで多少なりとも人生が豊かになるようなものです。
海外には「紀元前の仏像」を作る仕事があるそうです。西暦2000年を越えた今、「紀元前の仏像」を作っているのです。こういったことは知らなくても生きていくのにはまったく困りませんが、話のネタとしては大活躍しますよね。
「学び」とは自分を知ること
学びとは自分というものの探求だとも思います。
学んでいると自分はこれが得意でこれが苦手、これは好きだけどこれは嫌いみたいなことを知っていきます。
できないことを無理にできるようになる必要はないし、得意な人に頼ってしまってもいい。
そのためにも「自分にできること、自分にできないこと」を知って受け入れる必要があります。
できることが多くなればそれだけ人生も楽しいものとなりますし、逆に自分にできないことをできる人がいたとき、それはリスペクトへと変わっていきます。
「学び」は「勉強」よりずっと楽しい
今思い出しても学校の「お勉強」というものはまったく楽しくなかったですね。
親からはよく「勉強して、いい大学に入って、いい会社に就職する。それが幸せ」だと言われていました。
おかげさまで、まったく勉強をしない学生生活を送ったのですが、別に後悔もしていないし、いい会社に入ることが幸せだとも思っていません。
けれども社会に出ていろいろな大人と出会うたび、勉強と言う意味ではなく自分の知識だとか教養のなさだとかを改めて自覚することとなりました。
そこから私の学びというもの始まるわけですが、これがお勉強というものよりもずっと楽しい。なぜなら、学んだことは少なからず自分の人生のプラスになってくれるし、自分から進んでやっているのですから。
そして、自分から進んで学んだものというのは知識として定着しやすいです。逆にやらされてやった勉強の知識は結構すぐに忘れてしまうものですね。
まとめ
世の中で成功しているような人達というのは例外なく学んでいます。そして、学び続けています。
お勉強というものはできても、学びというものができないと「うさぎと亀」のようなことが起こってしまうのがこの世界です。
また、知識というのも意外と賞味期限があったりします。大人になってからも学ぶことを怠らずに、日々自分と言うものをアップデートしていく必要がありますね。
以上。ありがとうございました!