人間、誰しもが幸せになりたいと思っているはずです。
「いや、私は不幸がいいんだ!」なんて人は会ったこともありませんし、おそらく存在しないでしょう。
幸せになりたい!と考えたときに陥りやすい罠について、この記事では紹介していきます。
1、他人と比べて自分は幸せだと思ってしまう
人間は幸せになりたい!と思う一方で、とてもめんどくさがり屋の生き物です。
そのため、手っ取り早く幸せというものになろうとします。
そこで陥りやすいのは「他人と比べて自分は幸せだ」と思ってしまうことです。
文春砲という言葉がありますが、こういった大衆週刊誌の見出しはいつだってスキャンダルです。
「誰々が不倫した」だの「誰々が脱税した」だの、当人達以外には正直どうでもいいようなことが常に並べられています。
これを見ると、自分よりも不幸な人というものがそこには存在している可能性があります。
そういったものを見て得る幸福感を「相対的幸福感」というのですが、こういったものを見て自分が幸せだと確認するのは、陥りやすい罠のひとつです。
「人の不幸で飯がうまい」などとよく言いますが、別に飯はうまくはならないし、結果的に自分が幸せになることもありません!
2、他人と比べて自分は不幸だと思ってしまう
他人と比べて自分が不幸だと思ってしまう、つまり、嫉妬です。
私は一時期、嫉妬の嵐だった時期があったのですが、この時は幸せなんて感情になれませんでした。
自分よりも勉強ができる人、運動ができる人、容姿がいい人なんていくらでもいます。
そんな人達と比べ続けてしまっていた時期は、本当に不幸としか言えませんでした。
あるときこの嫉妬の嵐をやめ、自分は自分、他人は他人と割り切るようにしたのですが、スッと心が軽くなったことを覚えています。
そう、人と比べて自分は不幸だと思ってしまう必要はないのです。
私は同年代がニュースなどで「凄い人!」みたいな感じで紹介されていると「凄いなー。自分も頑張ろう。」と思います
なんでこいつはこんなに有名なのに、自分は有名ではないのだろうとは思ったりしません。
人に嫉妬しても救いはないし、余計に疲弊してしまうだけなのです。
3、原因を他にぶつけ、うっぷん晴らしをする
自分が幸せではない原因を他にぶつけ、うっぷんを晴らすというのもよくはありません。
「会社が悪い」とか「上司が悪い」とかです。
それならば、転職すればいいだけのことです。
「国が悪い」や「生まれた時代が悪い」はどうしようもないのですが、そういったどうしようもないことに不幸の原因をぶつけても幸せにはなれません。
なぜなら、どうしようもないことは変えようがないからです。
自分の力の及ばないところに原因をぶつけていると、その幸せになれない原因を取り除くことができず、結果的に不幸であり続けることになってしまいます。
「どんなことでもすべてのことは、自分に返る」という言葉があります。
何かが起こったとき、過去の自分が起こした何かしらの原因がある。という考え方です。
「国が悪い」、「時代が悪い」と言い続けても未来の自分にとって有益なことが返ることはないでしょう。
4、幸せが他人に影響されてしまう
人が幸せだと思うことを自分の幸せだと思ってしまうこともよくはありません。
私は子供の頃両親に「勉強していい大学に行って、いい会社に就職することが幸せだ」と言われて育ちました。
もちろん、そんな親の思いとは真逆の勉強をしない子に順調に育っていったわけです。
いい大学も卒業しなかったし、新卒で入った会社もパワハラのため半年でやめました。
それでも私は今の人生ってものは割りと幸せだと思っています。
確かにもっと勉強していれば、また違った形の幸せではあったかもしれません。
それでも、私が辿ってきた道は間違いではないし、今は幸せであると言えます。
そう、幸せの形は他人が決めるものではありません。
ましてや、他人がこう言っているから、それが幸せというわけでもありません。
「こうあるべきである」という思い込みは、時に本質というものを見えなくしてしまいます。
幸せの本質は、自分が幸せだと感じること。
自分が「幸せだ!」と胸を張って言えるのであれば、それは間違いなく幸せなのです。
最後に
ということで、幸せになりたいと思ったときに陥りやすい罠として、他人と比べてしまうという記事でした。
人が100人いたら100通りの幸せがあります。
その幸せはあなただけのもので、他人は一切関係ありません。
「自分の幸せは自分が決める」それでいいんだと思います。
以上。ありがとうございました!