世間一般で言うところの「普通の人」にはなりたくない

  • 2020年2月23日
  • 2020年2月23日
  • 生き方

 

 

「普通の人」。

「普通」とは、どこにでもあるようなありふれたものという意味となります。

 

日本では会社員の人の割合が社会人の約8割を占めるようです。

 

つまり日本における「普通の人」というのは、学生から「普通」に会社員となり、「普通」に働き、「普通」に自分のやりたいことは週末に後回しして、「普通」に定年退職を待ち続ける。

そして「普通」に恋をして、「普通」に結婚し、「普通」に子供を育て、「普通」に家を買い、「普通」に老いて死んでいく。

 

私は天邪鬼なんだと思います。
普通とか一般的と言われるとその逆を行きたくなります。

 

自分は周りの人と何か違うんじゃないか。とか、自分は周りと比べて変わっているのではないか。とか考えてしまうことってあったりしますよね。

 

 

 

普通っていいことなの?

 

 

日本には義務教育があります。

どんな人も分け隔てなく教育を受けられる素晴らしい環境と言われています。

 

私はこれこそが「普通の人」を作り出しているものと考えています。

 

前ならえとか、やりましたよね?
身長順に並んで1番前の子が腰に手を当て、後ろの子は前に手を伸ばすアレです。

ちょっとでもズレていたりすると教師から怒られたものです。
つまり、ズレないように矯正されていたということですね。「出る杭は打たれる」といった諺と同じです。
「普通に」「普通に」なるように教育されてきていたんですね。

 

あと、運動会の行進とか。
未だになぜ歩く練習が必要なのかと、理解ができません。
運動会の種目の練習はまったくせずに、行進の練習で1時間、2時間とかを使っていた頃は時間の無駄と思っていました。

 

中学生のとき、教師から夢は何かと聞かれたので、「働きたくない」と答えました。

 

返ってきた返答は「ふざけたことを言うな」でした。ですが、私は大真面目でした。
そのときにはもう、働いていない人というものが一定数はいるということに気がついていたのです。
そして、そういった人のほうがきっと幸せな人生を歩んでいるとも思っていたのです。

 

父親、母親、そして当時の友達の両親。
働いている、この記事でいうところの「普通の人」はまったく楽しそうには見えなかったのです。

みんな日中は働きに出かけ、夜帰ってきてご飯を食べて、テレビを見て寝る。
週末は出かけても近場のショッピングモール。
まったくもって生きていて何が楽しいのか理解ができませんでした。

 

 

ズレていてもいいんじゃないの?

 

さすがに犯罪などで人としての道を踏み外すことは論外ですが、
自分が心から楽しいと思えることを追い求め、心から楽しいと思えることに情熱を注いで、自分が心から自分らしく生きているといえることが一番大事なんじゃないかと、私は思います。

 

自分が心から楽しいと思っていることなら、周りの目なんて一切気にしなくていいですし。
自分が本当は嫌だと感じているのであれば、それはもうやめたほうがいいです。

 

私は「嫌だ」と思った後にそれを辞めるのは物凄く早いです。

 

多少この感覚が「普通の人」とズレていても、それは大事な個性となります。

 

日本には「普通の人」でいろという微妙な風潮がありますが、「普通の人」として生きなければならない。なんていうルールは存在しません。

逆に、みんなが本当に同じだったら気持ち悪くありませんか?

 

 

 

 

まとめ

 

私は最近、知人からこいつは「世間ズレしているから」と言われることがありますが、本当に嬉しく感じています。

たった1度の人生、周りの色に染まらずに自分色で突っ走ってみればいいのではないでしょうか。

必ず、そんな自分色を理解し受け入れてくれる人もこの世界には存在します。

 

ちなみに私は働きたくないという気持ちを持ちながら、幸せなお金持ちを目指しています。

お金持ちっていうものに実感がなくても、この本を読むと幸せなお金持ちになりたいと思うはずです。

 

以上。ありがとうございました!