信用できない言葉ってありますよね。人から言われたら「あっ(察し・・・)」ってなる言葉たちです。子供の頃は信用していても大人になるたびに気づいていくこともある。なんか、切ないですね。
信用できない言葉として1番有名なのは「行けたら行く」かな、と個人的には思っています。どこで取った統計かはわからないですが、これを言った人が来る確率は30%だそうです。本当は暇だし行きたいけど、暇じゃない風に見せたい人がこれを言って、行くパターンが多いということでしょうか。
はい。というわけで、他にも信用できない言葉たちはたくさんあるので、それらを紹介していきたいと思います!!
口堅いから!
俺、私、僕、口堅いから!同じような用法に「誰にも言わないから!」があります。
学校とかでその言葉を信用して秘密を話したが最後・・・次の日には教室中に話が回っていたりしますよね。被害はそれで収まらず、気づいたら学年、学校全体にまで秘密が共有されていた、そんなことあります。
中には本当に口が堅いパターンも存在しますが、ほとんどの場合、それは少数派でしょう。筆者は喜々として話まくるほうです。
また、これは私見ですが、「絶対、誰にも言わないから!」の場合は期待値が100%近くになると思ってます。なんの期待値かって、そりゃあもうそういうことです。
一口ちょうだい!
一口、いったいどれくらいのサイズなんですかね。確かに一口のこともありますけど、何口も行ったくらいの勢いで食べる人いますよね。
筆者は一口と言われてジュースを手渡したら、一口=すべてということもあった気がしますね・・・。
すっぴんです!
TwitterやInstagramが流行り始めて早何年でしょうか。SNSが流行った結果増えたもの、そう自撮りですね。
自撮りのときたまに「すっぴんです!」みたいなキャプションがありますね。まぁ、確かにこれは信用できる言葉かもしれません。事実すっぴんだと思います。ただ、すっぴんでも写真は重加工してたりするんですよね。メイクしてても加工はするし、すっぴんでも加工はする。
なんというか、凄いですね。加工した自分の顔に慣れすぎて、他撮りの加工されていない写真を見せられると、これは自分の顔と認めないこともあるとかないとか・・・。
怒らないから正直に言って
わかりやすいですね。こんなの言われたら容易に未来が想像できるので、悪寒が走ると思います。
これを言っている時点では冷静かもしれません。が、どちらにしろ怒ることを伝えることになってしまうので、怒らないって言ったのに・・・となること、よくあると思います。
ずっと友達だよ!
友達・・・どこに行ってしまったのでしょう。絶対に連絡するからね!からの、なんとなく気まずくなって疎遠、よく聞く話な気がします。
おかしいですよね。「ずっと友達だよ!」って結構言ってた気がするんですが。人間はライフステージが変わると付き合う人が変わっていくので(逆もまた然り)、ずっと友達なんて、ほとんどの場合ありえないんですよね。しかも大人になるほど友達ってできにくくなる。
悲しいね。もちろん、筆者は友達いません!
なんでもいい
A:「何が食べたい?」
B:「なんでもいい」
A:「じゃあ、カレーは?」
B:「気分じゃない」
元気がいいですね。何かいいことでもあったのでしょう。
努力は必ず報われる
努力が報わるかはわからない。ただ、報われる人は必ず努力している。これが正しいですね。
努力するなら嫌いなことではなく、大好きなことにしたいですね。努力の結果としては裏切られても、大好きは裏切れないから。というか、大好きなことなら努力している感覚にはならないはず。なぜなら好きでやっているから。努力という言葉の意味とはきっと違う次元にいるんですね。
勉強してない
学校のテスト前などのお決まりの駆け引きです。高得点を取れないときにあらかじめ張る予防線。かと思いきや、勉強していないアピールにより、周りを勉強させないようにして自分だけ高得点を狙おうという卑劣な策略です。
普段からテストで高得点を取る人が「勉強してない」って言っても信用できませんよね。つまりはそういうことです。
筆者は「勉強してない」を毎回言っていましたが、テスト前でもしっかりとゲームしてました。自分にだけは嘘をつきたくなかった、そういうことにしておきます。赤点との闘いがクセになるんだ。
勉強する理由、大人になった今ならわかりますよ。
寝てた
寝てません!以上!
無礼講
これを言われたら、上司とか先輩に対してボロクソ言いたくなりますよね。
ダメです。きっと覚えています。無礼講なわけがないんです。安っぽいプライドを捨てられない人が多いので、ボロクソに言ってしまったら次の日のあなたを待ち受けているのは陰湿ないじめでしょう。
もうね、無礼講の飲み会なんていらないってハッキリわかんだね。無礼講じゃなくていいからごちそうになりたい。ごちそうになれない無礼講なら参加したくない。
私から言いたいことは以上です。
最後に
いかがでしたでしょうか。ある程度の人生経験を積んでしまうと、「あっ、これは信用してはいけない言葉だな」と気づけるようになります。しかし、こんな言葉ばかり言われたら人間不信になってしまいそうですね。
信用できない言葉たちはこれからもきっと増え続けていく可能性もありますね。誰を信じて、誰を信じないのか・・・難しいことになりそうです。
以上。ありがとうございました!